今日夫と喧嘩した。
ここ最近私のご褒美的存在の嗜好品を夫がゲームのツマミに消耗する。それを補填するのは私。そんなことが何度も続き、ついに本日爆発した。
「これを私のものだってわかっていて毎晩消耗して、毎朝蓋を開けたらなくなっていたら私がどういう気持ちになるか想像できなかった?」
「……」
「分からなかったなら言うけど、すごく嫌。これを消耗したことに対してもそうだけど思いやりのなさが一番悲しい」
「だったら多めに買っておけばいい」
「それは私が検討することであって、あなたの問題ではない。私が言っているのは、あなたが人の大切にしているものを無神経に消耗できる人間であることが悲しいって言ってるんだよ」
ここまで感情のままにこぼして、すこし冷静になった。結婚して10年、私は夫にここまで正直に心のうちを話したことがない。夫は、鈍感なくせに繊細で、他人の機微に気が付かないけれど自分が受けた傷はすぐ重症化する。そして心を守るために怒りとして感情を表すようなひと。結局、謝罪はせずふて寝した。
思えば、結婚してすぐに子供に恵まれ子供のために身を削り平穏な日々を与えることに必死になっていた。そのために、私は夫にされた嫌なことを指摘せずに来た。私が我慢していれば平穏は保たれるから、多少の傷はツバをつけて治してきたし、深手になっても自然と癒えるまで放っておいた。それがここに来て爆発したのは、嗜好品が自分の中で殊更大事なものだったからではない。単純に、将来同じお墓に入る予定のパートナーに愛されたかった、愛されていると感じたかった。少し話して、夫にも思うところがあるのは分かったけれどやっぱり最後まで謝罪はなかったし、その思うところの中に私への思いやりは含まれていなくて悲しかった。
傷つけたことに気づかない夫も、傷ついてもそのままにされた私とも向き合わなかったツケがここに来て来た。夫が一方的に悪いわけでもない。私もこういうことを許してきてしまった実績がある。
相手に変わって欲しいならまず自分から、という言葉があるらしい。
それならば、明日から我慢をやめてみる。嫌なことは嫌だと言ってみる。反対に、してくれて嬉しかったことは天邪鬼にならずに喜んでみる。不機嫌な時は隠さず茶の間を気まずい空気にさせることもしてみる。でも、謝ってくれたらいつまでも引きずらずサッと切り替えて笑ってみせる。
夫の不機嫌に怯える日々にさようなら。
愛されたかった私もさようなら。
平穏な生活もさようなら。
またいつかどこかで会えますように。